LIFE STYLE

vol.7 「“美しい“のセンサー」

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つい先日、美容関連の取材(申し訳なくなりつつも、なぜか多い)を受けていたときのこと。
「”美しい”って、どういうことだと思いますか」と訊かれました。戸惑いました。

形容詞は、小さな頃からの植え付けか、無意識的に使ってしまうことが多いです。自分のなかでカテゴリーができているのですね。その箱のなかにポイっと投げ込んでしまう感覚です。
細かく感じ取って考えれば、もっと言い表すのに適切な言葉もあるように思いますが、口をついて出てしまうのは、慣れ親しんだ大雑把な……。

花=”美しい”、という認識は、ごく一般的です。自分も花を見てよく「きれいだなぁ」と思っています。花以外にも、飼っている猫を見ては”美しい”と思ったり、視覚的なものだけではなく、香り、音、味などにも“美しい”と感じることがあります(美味しいなんて、文字のままですね)。あくまでも言葉の世界ですが!

その大雑把な”美しい”を感じるとき、何を発見しているんだろう、と考えました。ひとからげにすることはもちろん難しく、無意味だと思うのですが、なんとなしに考えてみました。

いちばん最後に“美しい“と思ったものはなんだろう、と回想すると、思い浮かんだのは江戸川乱歩の人間椅子という短編小説でした。あれは美しい。ぶるっと身ぶるいしてしまう恐ろしさもありながら、物語そのものも、文章も、適切なボリューム感も、全てが研ぎ澄まされていて、読み終わったあとに「美しすぎる……」と独りごちた。文字自体は目に映るものですが、これは直感的に受け取ったものですね。

ダイレクトに胸にくるトキメキを発見すると咄嗟に“美しい“と思うみたいです。それから、小さい頃から見たり聞いたりしてきた“なんかいいものだな”のスイッチが押されると“美しい“と思うみたいです。自然のものでも、人工のものでも等しく。

自分で“美しい“を求めて何か制作するときにはいつも、料理みたいに「自分がいちばん美味しいと思うところ」を目指して食材の処理や塩加減をする、ということに近いなぁ、と思います。

いままで捉えてきた“いいもの“に、なんとか近づけていく感覚です。

ちなみに取材では、質問に対して「“美しい”と聞いて真っ先に思い浮かぶものはコンプレックス、自分の容姿の美しくなさです。けれど、だから自分の席を作るために製作をすることになったんだと思うと、この程度で生まれてくることも才能なんだと、思っています」というインタビュアー泣かせの答えを(文字に起こすと恥ずかしい)。

例のごとく、書き出しと終わりが結ばれていない書きものになってしまいましたが、みんなにとっての“美しい”は何なのだろう、と一瞬思い浮かべてもらえたら、聞いてみたいです。

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YASUTAKA OCHI

Flolist

Instagram : ochiyasutaka

1989年生まれ。表参道ヒルズでフラワーショップ「DILIGENCE PARLOUR」、東京ミッドタウンのイセタンサローネで「ISdF」営みながら、花や写真、文章を主軸に様々な表現活動を行なっている。店頭小売のほか、イベントや広告などの装飾も行う。