vol4 好きな花
好きな美術家が参加している展覧会が開催されていたので、埼玉県東所沢にある角川武蔵野ミュージアムを訪れました。東所沢(通称ガットコ)は僕が育った土地で、通った小学校や中学校もあります。
中学生の頃、卒業を前に別の市へと引っ越してしまったので20年近くになるかな、久しぶりに来た地元でした。
展覧会を観た後、当時住んでいた家のあたりへ行ってみようと思いました。ついでに小学校、中学校にも。
そもそも駅に着くまでは断片的にしか思い出せず、iPhoneで地図を見ても曖昧だったのですが、人間とは不思議なもので、そこに降り立った瞬間に様々な記憶が鮮明に思い出される。
思い出のなかでは急だった坂道が緩やかだったり、随分時間をかけて帰っていた道も、大人になってみたらあっという間だったりと、面白かった。
そっとしまっていた記憶までもがよみがえる。
——しばらく前のこと。母が床に臥して引越し先の家で療養していたとき、店からチューリップを少しだけ持って行ったことがありました。ピンクが好きな母で、部屋の中はピンクのものばかり。ピンクであれば何でも「かわいい!」と目を輝かせるような人でした。きっと自分の極端なところは母に似た。
それでピンクのチューリップと、ピンクのマニキュアを持っていきました。背の高いコップにチューリップを飾り、横になっている母の浮腫んだ手を借りて爪にマニキュアを塗りました。やや朦朧としながらも「かわいい、チューリップって大好き」と喜んでいました。その時に一緒に見つめたチューリップ。自分のなかにも何か刻まれたような気がしました。
この頃は独立してから間も無く、なかなか要領を得ずに四苦八苦しながら働いていて、母のことは兄に任せきりになっていました。そもそも十代の終わりに家を出てからは、ほとんど帰ることがなかった。あまり親孝行とは言えない息子でした。
チューリップを飾った日から、ほんの少し経ったある日、午前2時過ぎに目が覚めました。両手がじわりと熱くなって、直感的に”呼びにきたんだ”とわかりました。すると間もなく兄から電話がかかってきて、母さん、もうすぐだから、電話かわるね、と言われました。自分の心臓の鼓動が耳まで聞こえてくるようでした。
お母さん、お母さん、と、ふるえる声で呼びかける僕に母は「康貴、大丈夫か、大丈夫か」と、ほとんど吐息のような小さな声で、聞くともなしに聞きました。その声に、あぁ。と、ひとつぶ涙が出た。
この人は最後の最後まで——。
自分の心配性なところもきっと母に似たんだ、と思いました。母は最後の最後まで僕と兄のことを考えているようだった。兄に戻った電話口からは、兄が力なく呼びかけている声や鼻を啜る音、その隣で父が母へ向かって叫ぶ声が聞こえていました。母の声は、もう聞こえませんでした。長い時間にも思えたし、実際にはとても短い時間だったかもしれません。
それから、何度もあの日を思い出しました。浮腫む手をさすりながら一緒にピンクのチューリップを眺めた日のことを。それを無邪気に喜んでいたことを。同時に自分の親不孝も思い出す、けれど……。
ありがたいことに少しずつ仕事は順調に進み始めました。そして取材をしていただく機会が増えました。花屋を始めたきっかけは、ということと同じくかなりの頻度で、好きな花は、と聞かれます。その都度、日によります、とか、季節によります、というふうに答えるようにしていました。その質問には、花屋が好きな花ってどんな特別な花なんだろう、という好奇心が垣間見えます。本当はその度に、自分の頭のなかにはあの日の光景と共に誰もが知っているような形の、なんてことのないピンクのチューリップが浮かんでいました。
YASUTAKA OCHI
Flolist
1989年生まれ。表参道ヒルズでフラワーショップ「DILIGENCE PARLOUR」、東京ミッドタウンのイセタンサローネで「ISdF」営みながら、花や写真、文章を主軸に様々な表現活動を行なっている。店頭小売のほか、イベントや広告などの装飾も行う。