vol.2——気持ちが流れる——
花を扱う仕事を始めてから10年以上が経つ。
市場を初めて訪れたのは、21歳の頃でした。専門学校を出て、花屋で働きはじめたときに研修で。
想像していた華やかさや活気はなく、どちらかといえば殺伐とした工場のような雰囲気で、面食らいました。
それから少し経って、自分で花屋を始めました。その頃から市場へは一人で買付けに行くようになりました。車の運転が苦手で、おまけに睡眠障害みたいなところがあったので、始発電車で市場へ行き、手配したトラックに花と自分を積んで店へ帰る、というのを週に3回ほど、ずっと繰り返していました。10年間。
市場には、国内外の生産者が作った花が、たくさんたくさん届きます。
生産者は、川上ってやつですね(文化服装学院で習いました)。そして市場、つまり卸の業者は川中で、自分たち小売業は川下です。さらにその先にたくさんの(胸を張って、たくさんの、と言ってみました)お客様がいらっしゃいます。
ほんとうにいろんな土地から、さまざまな理由で生産され、卸を通って、小売を通って、お客様を通って、さらに送り先の方に届いたりして。花がどんぶらこどんぶらこと運ばれ流れていきます。
——その花が携えているもの。
今まで、数えきれない程の人の気持ちを、花を通して流通させてきました。感謝だったり、愛情だったり、悲しみだったり、その強弱や色彩もそれぞれに、数えきれないほど……。
花はただその美しさだけで、人に贈ることが赦されている。言語化できない気持ちを拾い集めて、束ねて、言葉以上に伝言していくことが、花屋の(自身の?)本懐なんじゃないかと思う。
不思議と、一輪の赤いバラが贈られてきたら、愛されている、と感じる。
ヒマワリだったら、元気を出して、と励まされているようにも。
もちろん、具体的なメッセージを持っていなくても、選べば勝手に何かしら自身の気持ちが反映されてしまうものなんじゃないかと思っています。
今日は帰り道、通りがかりの花屋で一輪、恋人や家族や友人や自分自身に選んでみるのも良いかもしれない。ぼんやりとした心のうちから花が助けて、思いがけないやさしさが立ち現れるんじゃないかと思います。
YASUTAKA OCHI
Flolist
1989年生まれ。表参道ヒルズでフラワーショップ「DILIGENCE PARLOUR」、東京ミッドタウンのイセタンサローネで「ISdF」営みながら、花や写真、文章を主軸に様々な表現活動を行なっている。店頭小売のほか、イベントや広告などの装飾も行う。