vol.1——ホテルに飾った睡蓮——
五年ほど前のこと。はじめての海外旅行の行き先は、台湾でした。当時、強烈な失恋の渦中にいた僕を、友人が連れ出してくれたのがきっかけです。
ほとんど不安症に似た症状に悩まされ、常に胸中にある人がいま何をしているのか、ひどい空想ばかりが頭を占領し、食事も喉を通らずにひたすらベッドに横たわっているような状態が、しばらく続いていました。
そういったことに苛まれた経験もなく対処ができずに、体重は減る一方で、正直、旅行なんていう体力などありはしなかったので断りかけた。
けれど、このままでは本当に大変なことになりそうだったので、重い腰を上げて台湾行きを決めました。
荷物少なに台湾へ。空港から出ると、生ぬるい風のなかに熟れた果物のような匂いがしました。
到着してすぐ、朝食へ。街中にある、大衆的な台湾料理屋で、友人と小皿をいくつか頼んで食べました。これが本当に美味しくて、いまでもこのときの食事が一番好きだと思っています。美味しいと思えて良かった。——けれど頭の中は。
ホテルへ荷物を置いてから、特別な目的もなく街中を巡り、目に入った床屋で散髪をしてもらったり、また食事をとってから、移動の疲れもあったのでホテルへ戻ることにしました。
道中で、商店街にある花屋に寄りました。旅行先でも、特に数泊する場合は花を買うようにしています。借り物の部屋のなかに自分のスペースを作りたいから。なんでも良いのだけれど、その国特有の花だと、なお良いと思っています。
花があるだけで少し、ほっとします。花屋で買ったのは睡蓮でした。切花として日本で流通しているのは見たことがなく、茎が長いのは多分、熱帯種(水面に浮かぶように咲いているのが主流)。
「珍しいな」と思い、ホテルにあったグラスに飾ろうと、三本ほど頼みました。
——日本では、蓮の花が売っているけれど、ほとんど開いたためしがありません。この睡蓮も同じように開かないのかなぁ、と思いつつ。
現地の言葉もわからないし、英語も伝わらず身振り手振りで希望を伝えると、従業員はわずかにニヤつきながら、ざっくりと耐水紙のようなものに睡蓮を巻いて、上から柄杓で一気に水を入れました。煩雑ながらも合理的な包装に、地味に驚きました。ホテルへ戻って、グラスに生けました。
広いホテルを探索してみたり、おしゃべりをしながら夜ご飯を食べました。それから、ゆっくり湯船に浸かったり、きれいなベッドへ入る時も、ずっと頭の中は、捉えようのない怖さがところ狭しとひしめきあっていました。
考えないようにすればするほど、親しい友人なんかをも疑ってしまうような、本当にひどい物語が展開されていました。何編も。慣れない土地に疲れていたのか、電池が切れたように眠りについて、少し早い時間に目が覚めました。
外の気配はどんなふうだろうと、窓辺に目をやると、そこに飾った睡蓮と目が合いました。睡蓮は、早くも開いてきていました。蕾では単調に見えていたその花の色合いの美しさは、言い尽くせないほど良かった。近づき、まじまじと見つめます。東京の住み慣れた空気とは、やっぱり違って、目に映る色そのものにも影響しているように思います。ぼんやりと眺めつづけました。三分とか、五分とか、その程度の時間だったと思います。
——そのひと時、忘れていました。気のせいかもしれないけれど、苦しくない瞬間がありました。ぽつりと感動が湧き上がるとき、抱えていた恐れからほんの一瞬だけでも解放されるよろこびがあった。異国の地ということも作用があるかもしれないけれど、それをもたらしたのが花であることは、確かでした。
朝昼は開いて、夜は閉じる様子から、眠るようなので”睡蓮”と名付けられたと聞きました。
花の名前は誰が付けるのか、ロマンティックな由来のものは、それだけで好きになってしまう。
すぐ好きになってしまうのは、人も花も同じですね。それに喪失の痛みがある事なんて、何度経験しても、はじまりには忘れてしまっています。いつでもまた、繰り返し。
YASUTAKA OCHI
Flolist
1989年生まれ。表参道ヒルズでフラワーショップ「DILIGENCE PARLOUR」、東京ミッドタウンのイセタンサローネで「ISdF」営みながら、花や写真、文章を主軸に様々な表現活動を行なっている。店頭小売のほか、イベントや広告などの装飾も行う。