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Vol.1 【レッドカードトーキョープロデューサー 本澤裕治さん】日本のデニムづくりのノウハウを今に活かす

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10人いれば、10のデニム愛がある。誰しも一度ははいたことのあるデニムについて、それぞれの思いを語っていただく本企画。今回は、我らが「ドクターデニム」こと、本澤裕治さんです。

■プロフィール

本澤裕治さん

大手デニムメーカーを経たのち、ドクターデニムホンザワとして独立。数々のデニムをプロデュース。2009年には、プロデューサーとしてゲストリストとともにレッドカード(現レッドカードトーキョー)をスタート。デニム生産の背景を知り尽くしたエキスパート。

――本澤さんといえば、日本デニム界の生き証人。エドウィンでキャリアをスタートさせ、その後はリーバイスに。しかも、エドウインでは「503」、リーバイスでは「501」と、名作のプロダクションにも携わってきました。

本澤「よく話すんですが、デニム業界に入ったのは、いわば偶然的。東京勤務があったからなんです。僕は、大学で機械工学を学んだ、筋金入りの理系人。すると就職先は、十中八九地方の工場勤務になります。当時バブル期で、売り手市場ということもあって、なんとか、理系卒でも東京で働ける職場を探していたら、エドウインさんに行き当たったんですよ」

――まさかの偶然! それが30年以上の本澤さんの人生を決めることになりましたね(笑)。お好きではあったんですか?

本澤「結局、エドウインに入社できましたが、学生時代はリーバイスしかはいていなかったです(笑)。しかもUSもの。当時、リーバイ・ストラウスのジャパン社があったんですが、“ジャパン”社の現行品はダサく見えたんです。だから、古着やデッドストックのメイド・イン・USAをアメ横や原宿で買っていました。考えてみれば、ファッションの移り変わりが激しい時代を生きてきたので。アイビーの終わりかけにファッションを知って、大学時代にはDCブームが来た。そして、社会人になるころには、セレクトショップが牽引した渋カジブームがやってきます」

――どのファッションにも、デニムは欠かせない存在ですよね。“USもの”の象徴だったデニムの、日本生産に携わるのだから面白いものです。

本澤「エドウインにいた10年間で、デニムづくりのいろはを知りました。僕が入社した平成初期は、日本のデニム業界も、いわば“バブル”だったんです。作ったそばから納品されていく、そんな時代。記憶が確かならば、リーバイスとエドウインだけでも、当時は年間2000万本くらいは売っていましたよ。今で言ったら、ユニクロやGU並みです。エドウインは、そんななかで秋田工場をはじめ、10以上の工場を持っていたんです。そこで、縫製から加工まで、いろいろと学びましたね」

――よく、本澤さんは、「デニムは工業製品」とおっしゃっていますが、そうした経験も大きいのですか?

本澤「そうですね。日本のモノづくりのトップ・オブ・トップが見られましたから。自動車でいえば、トヨタの工場にいたようなものですから」

――その後、リーバイスに転職されますが、きっかけは?

本澤「僕の中では、フリーエージェントと言っています(笑)。ちょうど10年という節目もあったんですが、やっぱり世界のトップであるリーバイス501の現場を見たいという思いは、ふつふつと湧き上がっていて。当時の“ジャパン社”は、中途採用がメインだったので、いいタイミングでご縁がありました」

――リーバイスはまた違いましたか?

本澤「デニムの生産背景は、エドウインとほとんど変わりなかったので、違和感なく働けましたね。やはり、そこでもトップ・オブ・トップのものづくりを学べました。そして、今のレッドカードトーキョーにつながる、レディスデニムの生産にも携われたのは大きかったですね」

――エドウイン、リーバイスと渡り歩いて、得たものはなんでしょう。

本澤「加工の背景を知れました。エドウインの頃から、徐々に洗い加工が始まって、ケミカルウォッシュ、ストーンウォッシュの時代に入っていきます。リーバイスに入ってからは、ヒゲやコスリといったリアルなヴィンテージ加工が始まるんですね。

――加工のノウハウのほとんどがわかるわけですね。

本澤「もともと欧米では、デニムというのは、リジッドからはいて、自然と色落ちさせていくものだったんですが、ある意味で日本人がそれを変えたんですね。加工によって。新たな加工がトレンドをつくって、マーケットに出ていった。ひとつ流行するとみんな同じことをし始める時代でしたね。ものは売りやすかったのかもしれません」

――当時と比べて、今のデニムの状況は、本澤さんから見て変わりましたか?

本澤「今は、デニムのトレンドがない状態になったと思います。あるようには見えるけれど、ヴィンテージ加工やセルビッジなども当たり前になり、一方でシルエットの流行も一回転して、いろいろなものが世間に登場しましたからね」

――2009年にレッドカードがスタートしますが、レディスがメインに始まります。当時のデニムの中では結構画期的な気がしました。

本澤「まだまだ、男性がデニムをはいていた時代。2000年代に入るとレプリカブームののちに、LAのプレミアムデニムブランドが、続々と登場しますよね。セブンとかトゥルーレリジョンとか。同時にスキニーの流行も始まると、徐々に女性がデニムをはき始めていきました。そして、女性に向けたボーイフレンドデニムが登場するんです」

――女性がデニムをはき出した時代のニーズにも合致したんですね。

本澤「当時、レッドカードでもボーイフレンドデニム需要がありました。そこで、メンズで培ってきた加工やシルエットなどを落とし込んでいくことになったんです」

――結果、レッドカードを筆頭に、女性に向けた加工デニムは一躍人気アイテムになりましたよね。

さて、本企画では世の男性にも、改めてレッドカードトーキョーをはじめとするデニムたちに再注目してもらいたい思いもありまして。そのあたり、本澤さんはどのように見ていらっしゃいますか?

本澤「メンズは、さらにトレンドレスの状態になっていますね。アイビーの時代とも違ってきて、デニムをはけばオシャレに見えるわけではない。レッドカードが生まれてから10年あまりの間に、ファストブランドも台頭してユーザーの感覚も変化してきました」

――それこそ、ストレッチデニムなんて昔は、ありえない!って感じでしたものね。

本澤「まさにそう。最初レッドカードだって、綿100%のデニムしか使わない、というコンセプトでやってましたから。そのあたりは時代に応じた変化も必要です。

ブランドは、トレンドを生み出さなければいけない。それが新たな需要、マーケットを創出するわけですからね。もう今では、ストレッチなしのデニムこそ“ありえない”わけです

――デニムの未来ってどうなるんでしょうね。

本澤「可能性はさまざまですよね。時間的にも空間的にも、デニムで過ごす時間を増やす余地はいくらでもありそうです。例えば、ビジネスシーン。今でこそ多少カジュアル化していますが、事務所のある秋葉原から日本のサラリーマンを見ていても、みなさんスーツかジャケパン。仕事でデニムをはくのは、アパレル近辺の人くらいですから。それだけでも、デニムの進出する余地はありそうですね」

――一方で、サステナブルなデニムも着目されていますよね。

本澤「レッドカードトーキョーでは、それが実は当たり前になっていることもあって、あまりアピールはしてないんですが、やっていることはサステナブルなんですよ(笑)。

まず、日本の工場は、規制もあるから、基本的に加工や洗いに使う排水は、飲めるほどの状態に還元しますし、水のリサイクルもしている。工場の落ち綿なんかも積極的に使うようお願いしています。

また、アンチバクテリアなんかも始めていて、メリットタグもつけているんで、それが標準なんですよね」

――レッドカードトーキョーとメンズデニムの今後はいかがですか?

本澤「改めて思うのは、やっぱりデニムって“やんちゃ”じゃないとなと。そもそも、ジェームズ・ディーンやプレスリーなんかは、反骨の象徴だったわけで、それは、ブランド名にも現れていますけれど、もう退場覚悟のスレスレの感じで(笑)。それがレッドカードの使命ですよね。

挑戦していきたい。今は、実はレディスのほうがデニムには勢いがあるぶん、売れることとやりたいことの間で、ある程度バランスを取らないと、という目線も入るんですが、メンズに関しては、そこまでのパイがないぶん、自由ともいえるんですよね(笑)」

――今やデニムは女性のものともなっているんですね。

本澤「男性は、一度コレと決めたら、あまりブランドを変えない。いいことでもありますが、売り手としては、広がりも少ないともいえます。

だからこそ、男性ならば一度は知っているデニムの魅力を改めて発信していく。レッドカードトーキョーでいえば、立体的なリアルな加工は、最大の特徴。今の主流であるストレッチデニムで、そうしたリアル感を追求していきたいですね。そこに新たなトレンドを生み出す一手があるのかなと」

――本澤さんにとってのデニムとはなんでしょう。

本澤「よく、工業製品といっています。それは、新品が一番いいと思っているからなんです。だから僕は古着を否定するんですよ。古着は古着でしかない。新品は、常に進化できますからね。ポルシェじゃないですが、最新こそ最良。技術を介入させて進化発展させるのが、デニムですから。僕のアプローチが工業製品的、なんですよね」

――なるほど、それがあってこの10年あまりの歩みがある。

本澤「名称も、レッドカードトーキョーに変えているのは、世界に発信するため。もちろん多くの男性にこれからももっとうちのデニムをはいていただきたいです」

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MASASHI TAKAMURA

エディター/ライター

instagram:masacisco

男性向けライフスタイル誌の編集を経て、現在はフリーランスとして活動。2013年に初のスイス取材を経験して以来、腕時計の世界にどっぷり。時計とファッションの相性を探求する40代。デニムカジュアルのほか、ゴルフ、音楽、スポーツ、食など、取材範囲の節操のなさは業界随一? いずれはK-POP、麻雀、サッカー界への進出をも目論む。